日本の歴史

日本の歴史

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通常、日本の歴史は、日本列島における歴史と同一視される。しかし、厳密な「日本」の成立は、国号にあるように7世紀後期であり、それまでは「倭国」と呼び記されていた。時代の区分は、考古学上のものと歴史学上のものとがある。 歴史学上は、古代(古墳時代(250頃–600末頃)から・飛鳥時代(592–710)・奈良時代(710–794)・平安時代(794–1185))、中世(鎌倉時代(1185–1333)・室町時代(1336–1573)・戦国時代(1493–1590))、近世(安土桃山時代(1573–1603)・江戸時代(1603–1868))、近代(明治(1868–1912)維新から1945年8月14日まで)および現代(1945年8月15日以降)の五分法が通説である。日本列島における人類の歴史は、次第に人が住み始めた約10万年前以前ないし約3万年前に始まったとされる。当時の日本列島は、アジア大陸と陸続きで、西方の華北や北方のシベリアとの文化交流も見られた。約1万2千年前の前後に最終氷期が終わると、大陸から分離した。この時期の住民が縄文人(縄文時代(14,000 BC頃–300 BC頃))である。紀元前8世紀頃以降、中国南部から稲作を中心とする文化様式を持つ弥生人(弥生時代(300 BC頃–250 AD頃))が流入すると、各地に「クニ」と呼ばれる地域的政治集団が徐々に形成される。これらの地域的政治集団により、朝鮮半島南部から南西諸島までの範囲で海上交易で結びついた緩やかな倭人の文化圏が構成されていった。1世紀・2世紀前後に各クニが抗争を繰り返し、各地に地域的連合国家を形成した。中でも北九州から本州にかけて存在していた国家群から、最も有力であったヤマトを盟主として統一王権(ヤマト王権)が形成され、これが王朝に発展したとする説が有力である。日本は、東アジアの中でも独特の国際的な地位を保持し続け、7世紀に中華王朝に対して独自の「天子」を称し、8世紀には渤海を朝貢国とした。武家政権成立後も、13世紀の元寇、16世紀のヨーロッパのアジア進出、19世紀の欧米列強の進出など、様々な事態にも対応して独立を維持した。16世紀末に蠣崎氏が北海道の南部に本拠を置き、北海道・千島・樺太を含む蝦夷地の支配権を得た。蝦夷地は、日本の領域とされることもあれば、領域外とされることもある、言わば「境界」とも言うべき地域だったが、17世紀にシャクシャインの戦いやロシア帝国の進出によって北方への関心が強まると、日本の領域も「蝦夷が島」(北海道)以南と意識されるようになった。南方に目を向けると、中世を通じて鬼界島・硫黄島までが西の境界と意識された。17世紀初めに薩摩島津氏が琉球王国を侵攻して、奄美群島を直轄地にし、沖縄諸島及び先島諸島(宮古列島及び八重山列島)の琉球王府の支配地から米・砂糖を上納させたが、その後も琉球王国は、日本・中国への両属を続けた。19世紀中葉に入り、欧米列強との接触が飛躍的に増えると、列強各国に対する他者意識の裏返しとしての「日本」・「日本人」意識がさらに強まり、ほぼ現代の「日本」・「日本人」意識と一致するまでに至った。大航海時代以降、アジア各国が欧米列強の植民地とされる中で日本が独立を長く保ったことは、後の国民国家意識にそのまま繋がる民族・国民意識の醸成をもたらし、結果として明治維新以降の近代国家建設がスムーズに行われる基礎となった。19世紀後半から20世紀初頭の帝国主義的な国際情勢の中で、東アジアに一定の勢力圏を築く必要に迫られ、日清戦争や日露戦争を経て勢力圏の確保を進めた。日本の対外志向は、特にアメリカ合衆国を始めとする欧米諸国の権益と真っ向から衝突し、最終的に1945年(昭和20年)の第二次世界大戦(十五年戦争・アジア・太平洋戦争・太平洋戦争・大東亜戦争)の敗北によって破局に至った。そして、アメリカ・イギリスなどの連合国により、史上初めて占領下に置かれ、日清戦争以降に獲得した領有権・統治権の総てを失った。占領下に国制の改革が進められ、憲法改正を行って日本国憲法を制定した。1952年(昭和27年)の平和条約によって全権を回復し、戦後、復興と共に1970年代半ばまでに目覚しい経済発展を遂げ(高度経済成長#日本の高度経済成長)、世界有数の経済大国となった。

http://goo.gl/xGfXmから取られた材料